中刈り(ちゅうがり)のこと
共同で使用している中刈り機です。もう20年選手。
前にハンマーがついています。これで茶畑の枝を粉砕します。
後ろに刈刃がついています。
共同で使用している中刈り機です。もう20年選手。
前にハンマーがついています。これで茶畑の枝を粉砕します。
後ろに刈刃がついています。
三重バイオレットアイリスの石立真悠子代表
左から石立選手、鳥居選手、万谷選手。それぞれキャラがたってますね。
4月25日 私どもの茶畑での品評会摘みの様子
売り切れていたお茶の特上煎茶を
今年も野登小学校の三年生を対象に手もみ茶体験を行いました。
9月に私の茶畑で手摘み茶体験をやってくれた子供たちです。
この行事はもう大人になった息子や娘たちが小学校にいた頃からの取り組みですので、もう十数年になります。
ここ何年かは手揉み茶亀山市茶業組合の事業として行い、三重県手もみ茶技術伝承保存会のメンバーにも手伝ってもらいながら続けています。
最初は何をやっていいのか分からず散漫な感じでしたが十数年がかりでだんだん形になってきたかなーとは思っています。
今年は初めてパワポを使ってみたり、手もみ茶をもむだけではなく、授業の中で初めて手もみ茶を飲んでみました。
急須で淹れた亀山茶は子供たちに美味しいと大変好評でした。
子供たちはワイワイとお茶を楽しんでいました。
以前は子供たちが勝手に二煎目だけでなく三煎目、四煎目、五煎目と勝手に飲んで騒いでいると「これが学級崩壊というものか」と内心は頭を抱えていました。
最近は楽しんで飲んでいるならそれでもいいかという具合に意識がかわってきました。
子供たちはお茶を飲んではワイワイ、手もみをやってはワイワイと何をやっても楽しそうです。
生活へのプレッシャーがないからとも思いますが、自分も持っていたであろうそのマインドを取り戻したいと50代半ばにして思うのでありました
歌舞伎で言う「童の心」(わらべのこころ)を大切にしたいです。
子供たちにまた会えたのでうれしかったです。
チンドン富都路さんたちと昨年に続き共演?できました。
先週末1月27日28日に亀山大市(かめやまおおいち)が行われました。
亀山大市は江戸時代宝暦年間から130年以上続く亀山の行事とされています。
商店街に露店が数多く出展し亀山では一番賑やかな行事となります。
市川大楽園製茶は「亀の市」という農産物直売団体のブースで大市の中でも一番端の方になりますが、毎年出店しています。今年も寒さは厳しく大雪に見舞われましたが雪かきをするなどスタッフのがんばりもあり、なんとか開催にこぎつけました。
28日朝の大市会場、例年にない大雪だった。
雪かきをする人
亀山で冬にそれだけ人の集まる行事というのはありません。
来場客は寒さを楽しんでいるのでしょう。お客さんも露店で大判焼きやたこやき買わなくても年間通じて営業している美味しいお店に入って食べることはできます。
人と同じ苦しみ?を味わう共感が人を呼び寄せるのでしょう。マラソンとか滝行に似たところがあるのでしょうか。
今年 私の中で一番の良かったことは毎年亀山大市を賑やかせているちんどん屋さんのチンドン富都路さんと私の趣味のサックスでセッションをしていることです。
チンドン富都路さんは私がイベントでお茶を売っていたので、10年以上前から知っています。
あんなに自由にサックスが吹けたらいいのになあと憧れの目で見ていました。
何年か前から休憩がてらお茶を飲んでいただくことになり、特に家内が親しくなったので昨年から趣味のサックスでセッションすることになりました。
ちなみに昨年の模様、日曜日は天気が良かった。
発見は暗譜という譜面を見ずに吹けるようになるとサッと出してパッと吹けるので良いということでした。
ちんどん屋さんは基本サックス一本と太鼓と鐘ということですので調を合わせることもいらないし、自由でいいなと思いました。
昨年は「上を向いて歩こう」一曲だけやりました。
通行の人も感心して観てくれているようでした。
今年は「川の流れのように」「涙そうそう」「上を向いて歩こう」の三曲で
しかも午前午後の二回公演?でしたので
やりすぎのせいか皆さんちょっとあきれ顔だったように見えましたね・・・
中日新聞に掲載された記事
先日1月17日に手もみ茶練習会を行いました。
三重大学の大学院生を招き
三重県手もみ茶伝承技術伝承保存会のメンバーは
私を含めて3人総勢5人の少数精鋭で一つのホイロを囲みました。
4月に家の前の茶畑に手摘みに来てくれた
お礼も兼ねて行いました。
その時と同じように地元のケーブルテレビのZTVと
中日新聞が取材に来てくれました。
店舗のバックヤード裏で行っています。
手もみ茶を私が習い始めたのが30年以上前
保存会に入って本格的にやりだしたのが
20年以上前になります。
手もみ茶は通常3人で5時間がかりで500g程度しかできない上に
その価値を伝えるのが難しいので値段をつける時には
非常に高価なものとなり
市場流通がされにくいものです。
観光や体験としてするにしても
時間や手間のかかりすぎます。
私自身も手もみ茶というものを
どう取り組んで良いのか迷っているところもあります。
というような非常に難しいテーマを三重大学の学生や院生に
投げかけているつもりなのですが
そんなこちらの気持にはお構いなしに
院生たちは手もみに興じていました。
昨年も訪れていただいて練習会2回目の院生は
昨年もZTVが来てくれましたが昨年は学生には
カメラ回してインタビューしていたものの
私にはカメラを止めてインタビューしていました。
「何か、良いことをかまずに言わなきゃっ!」と
身構えていた私は拍子ぬけしました
今回はそのことを思い出し
「昨年の大ヒット映画じゃないけどねー
『カメラを止めるな!』と言いたかったよねー」
などとZTVのスタッフに軽口を叩いていたせいか
カメラ回してインタビューしてくれました。
それはそれでめちゃくちゃ緊張しました。
うまく編集しとくからと言われて
まぁなんとかなりましたが。
「カメラを止めるな!」との抗議の末やっと実現した私のインタビュー
しかしながら今度は中日新聞には私ではなく
学生を指導する若手20代の若手が写真に収まっていました。
どうしてもメディアは50代のお肌よりも
20代のプリプリお肌にこだわるのねと思った次第です
あけましておめでとうございます。
写真は12月に降った雪の模様ですので
今じゃありません。
正月らしい画像がなかったので
雪景色にしてみました。
昨日から本格始動しております。
とはいえすでに5日、6日と
お茶の試飲販売も行い
昨年と変わらぬご愛顧を
いただき、まずは
ほっと安心いたしました。
特に昨日の7日は私の周りの方々からも
いろいろ連絡入りまくりで
世間は猪突猛進してるなぁと
感じいる今日この頃であります。
それで、下の画像は
昨年暮れからの
マイブームで
サーモスのポットと
ハリオのボトルを併用して
手間や無駄なく
オシャレ?に
ほうじ茶や紅茶を
楽しんでいます。
またプログにて微に入り細に入り
解説いたします😁
そんなのもうわかってるよ
と言わずに
また見てやってください😭
12月に入ってからスーパーサンシの亀山エコー店で
お茶の試飲販売を行いました。
亀山エコーは私が小学6年生の頃にできた
昔ながらのショッピングセンターですが
ここの中で働くことになろうとは40年前には
思いもよりませんでした。
40年前には想像できない亀山エコー内で働く私
当時、鈴鹿にハンターというショッピングセンターが
ありましたので
郊外型のショッピングセンターの
流行った頃だったのでしょう。
亀山市内にも亀山エコーができました。
河岸段丘を利用した地形で
上からも陸橋を使って
徒歩で入れるところが
ものすごく画期的だなぁと思いました。
まだエレベーターすら珍しかった
田舎の子供には夢のような施設でした。
私は地元の高校に進学しましたので
さらに身近な存在だったと思います。
高校の頃80年代前半のアイドルブームの時は
何人かのアイドルが訪れていました。
私が覚えているのは人気絶頂だった
イモ欽トリオの長江健次さんが
熱狂的なファンの集団に押されて
ステージ後ろの溝にはまったという事と
高校の学園祭の時にクラスの友人と
買い出しに来た時に、
現在はテレビのコメンテーターで
当時はアイドルの三田寛子さんが
ミッション・イン・ザ・ミッドナイトという曲を
歌っていたのを覚えています。
今も好きな曲なのですが、なかなかネットで
検索しても出てきませんね
長江健次さんが溝にはまった屋外ステージのあったところ
エコーの一階にはドムドムバーガーがありました。
私が初めて食べたハンバーガーでした。
外側がアルミの紙に包まれていて
蒸れて柔らかくなっていました。
それがハンバーガーだと思っていました。
ケチャップのように酸味のきいたソースが
効いていて、おいしく感じました。
高校卒業後クラスメイトもよくそこでアルバイトをしていて、
そこで知り合って付き合ったり、結婚した人もいます。
エコーに歴史ありですね。
今もエコータウンと言って河岸段丘下の
国道1号線沿いにいろんなショップ、
ホテル、居酒屋などがあり、エコータウン周辺で
飲みに行って買い物をして
働いてビデオを借りて
本屋に立ち寄って昼飯食って
気がつけば1日のほとんどをエコータウンで
過ごしていたというようなこともありました。
亀山エコーはノスタルジーと日常生活の
混じった場所なのですねぇ
もう先月のことになってしまいましたが11月14日に
全国手もみ茶技術競技会が行われました。
いつになく力が入っている私
昨年は私は見学でしたが今回は出場できることになりました。
三重県手もみ茶技術伝承保存会の研修会の翌々日の
まだ身体の疲れも癒えぬ中
自主練習を手もみ茶道場で行いました。
教師の資格試験を受検する方も見えましたので
その方も一緒に参加しました。
手もみ茶道場で自主練習を行いました。
今回は福岡県八女市で行われました。
競技会が始まる前の準備の様子
私も一年ぶりの出場でしたのでなんとか上位に食い込みたいと
いつも以上に真面目に集中して取り組みました。
他の競技者に目をやる時間もありませんでしたので
全体の状況はよく分かりません。
ともかく焙炉の表面の助炭(じょたん)や
茶温と言われるお茶自体の温度や
次の手さばきに移るタイミングを気にかけました。
九州つながりじゃないですが「巨人の星」の左門豊作のように
私が克明に記した手もみ茶ノートを見直し自分なりに頭に叩き込みました。
チームは”勝利の味を知る男”市川浩美氏と
”50代の新星”伊藤俊也氏との熟年トリオでした。
全員50代、負けられない戦いがそこにあったかも(笑)
5時間近くの競技時間が終わりました。
ホイロ上で見たときは正直あんまり良くないなと思いましたが
見本盆に乗せてみると
かなり細くよれている良いお茶に見えました。
お茶はお茶業界では「キツネ草」と呼ばれるぐらいで
手もみ茶であっても見る角度とか光の加減などによって
随分と印象は変わるもんだなと
改めて思いましたね。
いつになく失敗しないようにに真面目に取り組みましたが
結果は12位
出来上がったお茶は悪くないものでしたが
なにぶん全体のレベルが上がっているので
中位に食い込むのがやっとでしたね。
ちょっと慎重すぎたかなっていう感じですね 。
全体に温度を絞りすぎたのかもというのが反省点でした。
まぁあれだけレベルが上がった中でのことなので
以前一桁の順位の時よりも私は納得しています。
ちなみにですが手もみ茶教師を受検した方は
見事合格されました。
一緒に練習をしてきたので非常に嬉しく思います。
保存会ができて本格的に手もみ茶に取り組むようになってから
もう20年以上もやっていますが
なんとなくマンネリを感じることもありました。
しかしながらその度に新たな切り口を見つけて興味が復活して
現在まで続いているのです。
やはり深い。深いのですね。